世界最古のインプラントは、1981年にトルコの古墳で発見された、上顎犬歯部の石製のインプラントで、紀元前約550年のものと推定されます。1931年にウイルソン・ポペノー(Dr. and Mrs. Wilson Popenoe)により発見されたインプラントは、現存する最古の”成功したインプラント”といわれ、紀元約600年にマヤ文明時代の下顎骨(3本の前歯を抜歯した部分)に埋入されたもので、なんと真珠貝を歯の形に製作したものです。マヤ文明時代のインプラントの写真現在、これはハーバード大学のピーボディ博物館に保管されています。

近代では19世紀になって、人類は純金製のインプラントを歯根の形に製作して試したのを始まりに、イリジウムと白金の合金を使用した籠上形態のものや(1913年)、ヴィタリウム製のネジ(1939年)、1947-1962年ころには金属製インプラントで様々な形態のものが試みられました。ブローネマルク博士の写真しかしながら、生体の反応、すなわち、生体親和性(生きたからだがどの程度人工物を受け入れられるのかという性質)に関する検討が十分なされなかったために、不満足な結果に終わりました。日本にも1960年代にインプラントが紹介されましたが、同様に、期待はずれに終わり、その後長い間インプラント治療はこの当時の悪評に悩まされることとなります。

インプラントが科学性を持って学会などから認知を得るのは1969年から1980年代初期まで待たねばなりませんでした。これらは、スウェーデンのブローネマルク博士らが開発した、純チタン製のスクリュー型インプラントを生体の治癒を妨げないような厳格な手順(プロトコールと言います)で埋入するというものでした。

ブローネマルク教授は、1952年にある実験中に偶然純チタンと骨が結合することを発見して、この現象をオッセオインテグレーション(Osseointegration)と名づけました。

Osseointegrationという単語は、ラテン語で骨を表すosseousと、英語で結合、統合を意味するintegrationを合わせた造語です。そしてこの現象を踏まえたインプラントを、オッセオインテグレーテッド・インプラント(Osseointegrated implant)と名づけました。

教授は、1952年から1965年まで13年もの間、インプラントの素材、デザイン、生体の反応などを徹底的に実験、検討し、1965年に初めて患者への応用を開始しました。当初は一本も歯が残っていない無歯顎の患者さんに主に応用しました。その結果を最初に報告したのが1969年であり、さらに1982年にカナダのトロントで開かれた国際会議場で15年間のデータを公開し、論文も発表、その高い成功率と、厳格なプロトコール、誠実なデータの取り方に世界中が驚愕したことはいまや伝説になっています。

日本へは1983年にブローネマルク教授が東京歯科大学に来て自ら手術を執刀したのが始まりです。

長々と説明いたしましたが、なぜインプラントが世界中に受け入れられ、普及するまでかくも時間がかかったのでしょうか?それはブローネマルク教授が証明するまで科学的な根拠なく試行錯誤した経験則に過ぎなかった治療法だからです。

この問題は決して解決してしまったことではなく、日本の医療全般が抱える問題です。すなわち、インプラント治療の歴史に起こった問題は、象徴的には、客観的な(科学的という言葉に含まれる意味ですが) 検証が不足したまま医療サイドが押し付けたが、結果は当然悪くて、そのツケを、患者さんに払わせるようなことを繰り返してはならない、という警鐘として我々は受け止めるべきであると思います。

ともあれ、ブローネマルク教授が開発、研究、発表したオッセオインテグレーテッド・インプラントは、歯科医療を根底から見直すターニングポイントになりました。現在、医療界やマスコミで盛んに重要性を訴えられている、「EBM:Evidence Based Medicine:科学的根拠に基づく医療」 と同様の概念です。

古賀テクノガーデン歯科インプラント専門サイト